羅小黒戦記の感想文

羅小黒戦記が沢山の人に見られてめちゃくちゃ嬉しい。鑑賞した人の反応や感想を毎日むさぼるように読んでいる。

その中で「羅小黒戦記はプロパガンダ映画では?」というブログを読んだ。

teramat.hatenablog.com

 この過激なタイトルのブログを参考に、自分が感じた羅小黒戦記の感想文を垂れ流す。

 

初めて見た時は字幕版で、童心に帰ったかのようにアニメの懐かしさや新しさを感じた。それと同時に中国の同化政策も頭によぎった。中国共産党は「共存共栄」を掲げつつ非人道的な行為を少数民族に行い国際社会から非難された歴史があるから(今もしてry)。

その歴史が頭にバイアスをかけているのか?バイアスかかったからそう見えるって悲しい。同化政策がよぎるとか脳みそ死ねと思った。でもモヤつくのはモヤつく。

 めちゃくちゃ大切な作品で大好きなのにモヤつくのが悲しい。でも上手く言語化できない。これは通うしかない、と吹替版上映にちょこちょこ通い、レビューを読み、言語化できるよう考えに考えた。


色々考えた結果、

・めたくそ強い妖精がなぜ力では及ばない人間の守護者にまわるのか、館側の穏健派がそこまでして人間と共存する理由を明確にしていない

・居場所を奪った側の人間がひたすらモブで当事者不在な所がある

 

人間側の視点を外し、穏健派が勝利した。そして共存する理由を鑑賞者の判断に委ねたことで政治的あれこれがよぎったんだろうと思った。共存は正しい。正しいのだけどなぜ共存するのかを言って欲しかった。いや言わなくてよい。何でもかんでも説明しないと分かんないなどと低脳を棚に上げてケチをつけてどうするんだ。考えろ。


はい、以下は自分なりの解釈↓↓

 

圧倒的な力があり、別の場所に統治機構を持つ館を所有する穏健派がなぜ人間との共存を望むのか。穏健派と人間の距離は「町人に擬態して城下町の縁日を楽しむお殿様」に似ていると思った。

穏健派妖精にとって良い奴も悪い奴もいる人間の暮らしは娯楽であり商業施設に近い。水戸黄門だって暴れん坊将軍だって城下町が大変になったら毎回助太刀してるしな、と明確に語られない共存の理由を強引に結論づけた。

 webアニメでは館の具体的な援助が語られている。館に属しているとお金の援助がしてもらえるだけでなく人間を捕食対象にしている妖精も人間と共存している。(人間側との協議がある事を示唆しつつ)グレーな方法をとり人間を殺して食べる事を黙認している。人間を食わなきゃ生きれない妖精を抱えていることは館側が人間側に正体を明かさない理由のひとつになるだろう。

 

そしてフーシーのこと。

館に属していれば人間だって食べられるのに、税金払ってないとサービス受けれません、てかんじで館に属さないフーシーの要求に館は応えない。

そもそも人間社会を商業施設と捉えて距離をはかっている館側と、大地に根をはり人間に尊重されながらその土地で暮らしたいフーシーとの考えでは共存の理念が違う。お城という居場所を持った上で城下町を楽しむのと、町人に愛されて城下町で暮らしたい、では城下町への関わり方が微妙に違うのだ。

 能力的に強いわけでもなく精神的にも心が優しく鬼になりきれなかったフーシー。フーシーの考えは間違っておらず正しくもあった。

「人間が最初から嫌いだった訳じゃない。良い時代もあった」と共存できていた昔の日々を思いだし泣いてる(泣いてない)フーシー君の涙を止める方法はないの?もう1人の主人公の願いは誰が叶えてくれるの?となった時、

 

人間に尊重される森林の中で暮らしたいというフーシーの願いはお前ら人間が叶えるんだよ

 

と、今まで舞台装置でモブでしかなかった人間を指差し、住処を奪った当事者である我々人間の責任を問う作品だと思った。

 

感想文終わり